categoryコンナ日常

こんな人生もあるのね

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先日祖父が亡くなりました。
祖父が倒れて22日間、お見舞いは数回しか行けなかったけど。

バイト終わって携帯見たら母から3通のメール。
もうかなり危ないとの内容で、電話してからしばらくしてからまた着信。
嗚呼、逝ってしまったんだなと思いましたが、やはり電話口の母は泣いていました。

もともと祖父のことは嫌いではなかったのですが苦手でした。
酒飲みで、酒を飲むと怒鳴りだしたり手をあげたり・・・。
怒り出すスイッチもわからなかった。ニコニコ笑ってた数秒後には怒り出したりするんですね。
だから祖父に会っている間は常に緊張して遠慮して、怖がっていました。

そんな祖父と血の繋がりがないと知ったのは中学生のころだったか小学生のころだったか。
偶然見つけた母の卒業アルバム、苗字が私の知っている旧姓とは違っていて、好奇心でどうして?と聞きました。
その時に初めて私の知る祖父が実の祖父ではないと知り、それまで生きてきた母と母の姉妹の苦労を聞かされました。
衝撃的でした、実の祖父でないだけでも衝撃的なのに、祖父と大好きな祖母のしてきた過去があまりにも酷いものだったから。
それから、「怖かった祖父」という存在が私の中で「面倒で最低で自分とは関係のない人」、という存在に変わりました。
今まで以上に距離を置くようになったし、冷たい考え方で見るようになりました。

祖父が亡くなって母の実家に行って、親族で祖父の元へ行っても涙は出ないしなんだか自分がそこにいるのが場違いに思えてならなかった。
納棺師の方がとても丁寧だったのが印象的。
この方にしていただいてよかったなと思った。
とても立派で尊い職業なんだなあって感じました。
到着してから私と妹はそこにいる人の中で誰よりもドライだったと思います、もっと縁遠い叔母の旦那さんよりもドライだった。
なのに疲れている母達に変わって私と妹が夜の番をすることになって、一緒にするはずだった従妹は寝てしまうし、祖母を起こすのは可哀想だし、やっぱり私と妹だけ。
「私たち明日泣くかな」なんて話しながら、交代でやって。

次の日の葬式、最後のお別れのところでは泣きました。
一生姿を見ることができないと思うと、何故か泣けた。妹も泣いてた。
みんな泣いていました。
不思議だった。
幼いころ虐待された母の姉妹、祖父が倒れる数か月前に外に出られないほどの顔になるほど祖父に殴られた祖母も泣いていて。
どうしようもない人間でも、最後はこんなにみんなに悲しまれて泣いてもらって別れを惜しんでもらえるなんてって、不思議でした。

おじいちゃんごめん、倒れたって聞いたときももう危ないって聞いたときも死なないでって思えなくてごめん。
不謹慎だってわかってるけど、酷い奴だって自分でも思うけど、そのほうがみんな幸せに楽になれると思ったの、だってみんな、私が思っている以上に苦しめられて生きてきたから。
血の繋がりの有無とは関係なく、おじいちゃんがしたことは人として最低のことだと思うよ。
でももうこの世にいない人を責めたって仕方ないよね。
もうあんなことはしないでね。絶対しないで。
これからは家族の幸せのことを考えて眠ってください。
自分がしてきたひどいこと、それを反省しながら生きてるおばあちゃんたちの幸せだけを考えてください。

私は叔母や祖母のように大きな人間になりたいです。優しい人間になりたい。
自分の人生の終わりや相手の人生の終わりには罪を許せるような、そんな人間になりたいです。
おじいちゃんさようなら。今までありがとう。
おじいちゃんのこと好きになるには少し時間かかるかもしれないけれど、いつか好きになりたい。
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〔テーマ:ひとりごとジャンル:日記

 









        
 
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